議会報告

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2007年12月 定例県議会 文教企業委員会 会議録 1/2ページ

佐々木委員長委員の質疑等発言を許可した。
村石委員それでは最初に伺います。
先般、文教企業委員会で県外視察に行きまして、宮崎西高校付属中学、これを視察させていただきましたが。その学校の目標が、宮崎はもとより日本及び国際社会で活躍する人材の育成を目指すと、世界の知をリードすると、世界を舞台に活躍できる人材の育成と、明確に、いわゆるエリート教育を目指しているということです。それで、全県から小学校卒業段階で優秀な人材を集めて、トップクラスの授業を展開していると、こういうことなんですが。
こういういわゆるエリート教育、これについてどうでしょうか。どんな見解を持っておられますか。まずお聞きしたいと思いますが、教育長さん、いいですか。
山口教育長宮崎西高の話にかかわって、エリート教育についての御質問でございますけれども。私、エリート教育というものが、今までの中で、とかくエリート教育という名称だけで議論が避けられていたような風潮もあるのではないかというふうに思っておりまして。要するに人間社会にありまして、いろいろな分野がありますが、いろいろな分野において、特に時代を切り開いたり、あるいは時には時代の整理役と申しますか、一つ時代が閉じていくときのさまざまな困難を整理したり、これが新しい時代の創設につながっていくわけでありますけれども。そういったものを、何と言いますか、おのれをかけてと言うとちょっと言い過ぎかもしれませんけれども、時にそういった歴史的な使命も自覚しながら切り開いていくという人材が必ず必要であり、またそういうものがない社会というのは、私は背骨のないような社会ではないかというふうに私自身は思っております。そういった意味で、エリートというものを頭ごなしに否定するという考え方は持っておりません。
しかしながら、具体的にどういったエリート像を描いて、どういう社会をつくっていくか、この辺が非常に合意形成において難しい部分でございます。かつて、例えば日本の時代、あるいは社会の向かう方向性が非常に明瞭であった時に、学校制度も、御承知のように、今のような単線ではございませんで、複線でありまして、旧制高校から大学へつながる一種のエリートコースが社会の中で承認されてあったわけでありますけれども。歴史的に見ますと、そういうものが一旦否定されて、教育の大衆化と申しますか、裾野を広げるということが大きな課題となって現在に至っていると。しかし、また新しい歴史的な意味合いで、エリート教育の必要性というものが叫ばれている。こういうことは強く感じております。
これはいろいろな議論があるわけでありまして、これが絶対であるというふうなエリート論がまだ私は出ていないと思っておりますけれども。日本の課題、あるいはもっと日本を含めた人類の課題と申しますか、さまざまな意味での新しい時代を切り開いていくそれぞれの分野におけるリーダー的な存在が必要だと。またそういう人材を結果として生むような分厚い教育というものを、やっぱり今やっていかなくてはいけない時代ではないかと、そんなふうな思いでございます。
具体的に長野県教育委員会として、これこれこういう意味でのエリート教育というふうなことは、まだ今の段階でこうだというふうな申し上げるものはないわけですけれども。いずれいろいろな部分で議論していく中で、あるいは必要性をそれぞれのお立場の方が感ずる中で、時にはそういう議論をする時代も、必要性も出てくるかなというふうな、これは全く私の個人的なものでございますけれども、持っております。
以上でございます。
村石委員先般、私どものプラン研究会と校長会の先生方と懇談会をしました。その中で将来像研究委員長の長野高校の校長先生、小山先生の方から中高一貫について、特に、本来なら長野高校に入学してほしい生徒が、佐久長聖、あるいは長野日大等々の私学の中高一貫校に、もう中学に入る段階からとられてしまうと言うと言葉が悪いと思いますけれども、そういうふうな表現で、いわゆる従来であったら長野高校に来る層が来なくなってしまうと、こういうことを大変憂いて、これは切ないと、こういう表現をされていたんですけれども。私学との関係です。特に先ほどの宮崎西高校の場合も、県外に特に優秀な生徒が中高一貫を目指して出て行ってしまうと、これを何とか県内にとどめたいと、こういう理念があったと、こういうふうに言っているんですが。この点については、どんなふうにお考えでしょうか、私学との関係。
山口教育長私学には私学の建学の精神がございまして。私、一般論で申し上げますと、私学と公立が文字どうり切磋琢磨してお互いに相競い合うと、いい意味で。そういった状態が、これは理想かなというふうな思いは持っております。
ただ、日本全体で見ますと、ちょっと他府県のこと言うのはあれですけれども、例えば東京都で私学が非常に大きな力を発揮するようになって、かつての公立が例えば進学というふうな面に焦点を当てても見る影もないというような状態に、いっときなりました。今、また違った意味での公立の復活というふうな手立てをいろいろとっていらっしゃるわけですけれども私はどの生徒がどんな家庭状況、あるいは環境に生まれても、本人が努力すれば、あるいは努力する機会を与えられて努力すれば、自分の目指すところへ挑戦する、そういったものは保障されるようなそういう社会、あるいは教育制度でなければいけないと、こういうふうに思っております。
例えばそれを教育について申し上げれば、私学へ行かなければ自分の目指す進路が実現できないというふうな状況をつくってしまうということは、何としても避けなければいけない。そういう意味でも、いい意味で、公立と私学が切磋琢磨しながらやっていかなければいけない。その方法は、例えば中高一貫に宮崎西の場合は求めた。私どももいろいろな形で、通学区ごとに検討したときに、なぜここの生徒があえて地域外、あるいは県外に出て行ってしまうのかと、長野県でなぜ教育できないんだと。こういう観点から高等学校の質のあり方、目指すべきものを検討しなければいけないと、こういう問題意識は持っております。その中で中高一貫が位置づくかどうかというのは今後の議論であるというふうに思っていますけれども。なかなか市町村教育委員会との、この設置者との関係もありますし、私学の皆さんとの関係もありますし、総合的なさまざまな観点から検討すべき課題かなというふうに思っております。
長野高校の小山将来像研究委員長が、そういった危機意識を持って長野高校の学校の運営をしているというのは、おそらくそこに身を置く校長であれば、やっぱり同様の危機意識を持ってやらなければ逆にまた対抗もできないというふうな、対抗というと言葉はちょっときついですけれども、自分の学校に受け入れた生徒を伸ばすという、その責任を全うするためにはやはりそういったつもりで、今、お聞きしたようなつもりでやっていかないと難しいかなというふうなことは、私自身も感じております。
ちょっと色々ごたごた申し上げましたけれども。
村石議員我々が視察した時も、明確に教育県宮崎を目指すと、こういう表現をしているんです。かつて長野県も、今もそうでしょうけれども、教育県長野、信州と、こういうことをいわれているんですが。そういう見地からしても、それでは今の長野県で目指す、中高一貫、まだ明確になっておりませんけれども、中高一貫教育を目指すとすれば、先ほどのお話のとおり、エリート教育ではないということとすれば、どういう理念、どういう目標、これで長野県らしい、長野県の中高一貫というのはどういうものかと、そういうものはどんなものでしょうか。
山口教育長私、エリート教育そのものを否定するという考え方はさらさらないんですけれども。例えばこういう生徒をこんなふうに伸ばそうという合意の中で、結果的にそういう生徒たちを、ある分野でのエリート層的な者を養成するということはあり得ると思っております。
エリートという言葉はなかなか日本には定着していないような部分があるんですけれども。私はエリートという者は、単に自分の能力を自分のことだけとか、特定の人間集団だけのものに使うような者は、本当の意味でのエリートとは思っておりません。エリートという立場に立つ者の一つの運命的なものとして、やはり社会全体とか、あるいは社会的な弱者にも視野を置いた視点がなければ、これは単なる傲慢と申しますか、私利私欲というふうな形になるわけでありまして。そういった意味でのエリートは私は肯定はしていなくて、それはだめだと思っておりますけれども。
中高一貫教育につきまして、県教委で今まで外部の方もお願いして検討しまして、その結果については、13年3月に併設型中高一貫、これ宮崎西ですが、それから連携型、この二つを実施の方向で検討するという報告書を出しまして、いろいろな場所で申し上げていますけれども、来年6月の再編の骨子の時には、その辺の中高一貫についての考え方も盛り込んでいきたいと、こんなふうに考えています。
一番典型的なものは、いわゆる中等教育学校、中学からずっと高校まで同じクラスでずっと6年間持ち上げのスタイル、そういう形がございますけれども。これについてはなかなか難しい問題もありまして、そのときも県としてはそういう方向性は当面考えないという形でおりますので、そういった基本線は継承しつつ、今申し上げたように、6月の骨子に位置づけていきたいと、こんなふうに思っております。
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